※この記事は、この作品をこれから見る方へ向けた紹介&ちょこっと感想です。
予告や公式サイトでわかる程度の展開には触れていますが、映画の結末や重大な展開には触れていない、ネタバレなし感想になります。
どんな作品なのかを知りたい方は、ぜひご覧になってください。
この記事で、この映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。
基本情報
『WE LIVE IN TIME この時を生きて』(2024年/日本公開2025年/イギリス・フランス)
監督:ジョン・クローリー
出演:フローレンス・ピュー、アンドリュー・ガーフィールド、ほか
あらすじ
がんの再発のため、余命わずかと知ったアルムート(フローレンス・ピュー)は、パートナーであるトビアス(アンドリュー・ガーフィールド)と治療の方針について話し合う。
効果がないかもしれない治療を続けて弱りながら死を待つか、自分の満足のいく生き方に残りの時間を使うか。
2人の意見は衝突するが、アルムートとトビアスは今までも何度も衝突を繰り返し、問題を乗り越えてきた。
残された時間が少なくなっていくなかで、2人が選択したものは……
自分の経験を交えての、ちょこっと感想
私の好きな俳優さん、フローレンス・ピュー主演ということで見にいきました。
普段はこういう、ヒューマンドラマ系の映画ってあまり見ないんですけど、好きな俳優さん+余命わずか系、というところに興味を持ったのです。
あまり情報を入れずに見に行ったので、車の中のシーンを見て、「あれ、ハンドルが右にある。あ、ここイギリスか」と思ったりしたのも面白かったです。
回想シーンを使った構成の面白さ
余命を宣告され、さあ、どうする?
というところから、この映画は始まります。
そして、アルムートとトビアスが何をどう選択していくか、という“現在”の物語の中に、過去のエピソードが、思い出のフラッシュバックのように挿入されていきます。
最初は、突然始まるフラッシュバック(回想シーン)と、現在との区別がつけづらく、「これはいつの話なんだ?」と戸惑ったりしましたが、そういう手法で2人のこれまでを見せていくのか、と理解できてからは、点と点がつながって現在への線となっていくのが、とても面白く感じました。
悲しみの中にある、「幸せな記憶」
過去から現在までを時系列に見せていくのもいいですが、単調になりがちだし、“死”へ向かっていくとわかっている場合、それを見守るのが辛くなることもあります。
実際には、「今こういうことがあった、そういえばあのときはこうだったね」と思い出す場合、時系列はばらばらで、順番通りに思い出したりはしないと思います。
いろんなことを連想して、ああそうだった、こうだったね、と思い出していく。
その記憶の想起の仕方をそのまま映像化しているようで、とても面白い表現方法、演出だなと感じました。
今は死に向かっていて悲しいし辛いけど、でもこんな楽しいことがあったね、こんなに幸せなことがあったね、と思い出していく感じが、すごくよかったです。
『死ぬまでにしたい10のこと』という映画
“余命わずかな女性がタイムリミットまでに何をするか”系の話は、随分前に『死ぬまでにしたい10のこと』(2003年)という映画を見に行ったことがあります。
『死ぬまでにしたい~』はあんまり共感できなかったというか、死ぬまでにしたいこととしてあげられていたことに、ピンとこなかったのを覚えています。
まあ、この映画のタイムリミットは2ヶ月で短すぎたので、それもそうかなと思います。
こういう物語に触れたとき、誰もが考えることがあります。
「自分なら、残り時間をどうするか?」です。
「自分ならどうするか?」という問い
『死ぬまでにしたい10のこと』を見たときは、「私なら、会いたい人に会いに行って、行きたいところに行って、食べたいものを食べて、あとは普段通りに過ごすかな」と思いました。
“余命わずかと判明し、どうするか?”という話は、その性質上、「余命わずかだと診断された段階では、まだ割と元気に活動できる状態であり、しかし確実に死に向かっていく」ことになるため、罹患している病気はガンになりがちです。
というか、タイムリミットまで割と活動できる病気って、ガン以外ないかも。
なので、今回の映画の主人公アルムートの病気もやっぱりガンで、しかも再発です。
一度は寛解したものの、再発してしまった、というものですね。
2003年に『死ぬまでにしたい10のこと』を見たときと、2025年に『WE LIVE IN TIME この時を生きて』を見た今とでは、決定的に違うことがあります。
私自身も、ガンになったことがある、という点です。
2010年に乳がんと診断され、左胸の全摘手術を受けました。
がんの経験から感じたリアリティ
私は幸い、再発も転移もなく経過して、元気です。
ただ、残っている右胸が、4年前から「要観察」と診断されるようになったため、専門のクリニックで定期的に検査を受けています。
「(点々とある怪しい影が)大きくなってもいないし、増えている感じもないから大丈夫ですね。経過を見ていきましょう」と毎回言われますが、大きくなったら困ります。
左胸の摘出手術後、脇の下まである傷がとても痛くて大変だったこと、その痛みが長く続いた(2~3年?)ことなどを鮮明に覚えているので、またあの経験をするのはいやだなあ、と思います。
だから、「辛い治療をするか? それとも、元気に活動できる時間を有効活用して、生ききるか?」という問いは、私には割と身近なものかもしれません。
私は死にたくないので、治る可能性があるなら治療に全振りしたいです。
でも、治る可能性が低かったら?
辛い治療に苦しむだけで、その時間をもっと他のことに使えたんじゃないかと、死ぬ前に後悔するとしたら?
治療と人生の選択という、問いの重さ
どちらを選んでも、それぞれ別種の後悔をするんじゃないかな、とは思います。
悔いのない人生って、難しいですよね。
「我が人生に一片の悔いなし」とか言えたら最高なんですが、なかなかそうはいかない。
でも、そう言えるように、自分の人生を生ききる、そうできるように努力することが、大切なんじゃないかなと思います。
今回の『WE LIVE IN TIME この時を生きて』を見たあとにも、やっぱり考えました。
自分ならどうするか?
治療できるなら、もちろんそうする。
でも、それが叶わなかったら?
「会いたい人に会いに行って、行きたいところに行って、食べたいものを食べて、あとは普段通りに過ごす」
2003年にもこう思いましたが、今もやっぱり、こう思います。
これを一言でいうと、「やりたいことを、やる」です。
仕事よりも大切なこと━━━自分軸で生きる
2010年に乳がんを宣告されたとき、私は社畜でした。
「明日、がんセンターの予約を取るので、紹介状を持って受診してください」と言われ、「明日は仕事です。急に休むのはちょっと」と答えてしまいました。
すると先生に、こう言われました。
「あなたね、仕事なんてどうでもいいでしょう。自分の体を大切にしてください。すぐに会社に電話して、明日は休むと言いなさい!」
その通りだな、と思いました。
それからも、社畜精神から抜け出すのは大変で、ずっと「みんなに迷惑をかけてはいけない」と思って、無理してメンタル病んだりとかもありました。
つまり、ずっと他人軸で生きてきたんですね。
今は、「自分と、自分の好きな人たちを大切にして生きていこう」と思うようになっています。
こう思えるようになるまで、結構時間がかかりました。
ガンになって手術をする、そしてそれに付随するさまざまなことを経験しても、人間なかなか変われないものです。
ようやく、自分軸で生きていこうと思えるようになりました。
誰もが、自分の人生を生ききるために
誰もがみんな、普段は自分の人生にタイムリミットがあることを、あまり意識しないと思います。
なんなら、どこかで「自分は死なない」と思っていると思います。
私もそうです。
だけど、いつか必ず、誰にでも死は訪れる。
そのときに、後悔しないのは無理だとしても、「やりたいことがいろいろできてよかったな」と思えるように、これからも“自分のやりたいこと”と、“普段通りの暮らし”を大切に生きていきたい。
そんなことをあらためて感じさせてくれる、いい映画でした。
自分ならどうするか?
アルムートは何を選択したのか?
彼女の選択を、周囲はどう受け止めたのか?
この映画を見ることで、一人の女性の選択とその結果を、いろんな人に見届けてもらえたらいいな、と思っています。
【死ぬまでにしたい10のこと】
コメント
きちともさん、唐突なカミングアウトで頭がついていかなかったんだけど、だからこそネタバレ全開と感想を読みたいと思いました。
いきなり死なないとしても、自由に身体が動く時間は少ないと思うので、死ぬまでにやりたいことを意識しています。
きちともさん、死ぬまでにまた会いましょうね。
コメントありがとうございます!
2003年と今とで捉え方が少し違うとしたら、自分の経験の有無によるものだなーと思ったので、感想で触れました。
題材が題材なだけに、詳細に語るとメンタルに負荷がかかる可能性があるので、機会があったら映画を是非ご覧になってください。
自分ならどう感じるかは、自分で触れないとわからないですからね!
ご自分の感性を大切にしてほしいなと思います。
まだ死なないと思うけど、元気なうちにお会いしましょう〜!