基本情報
『1ST KISS ファーストキス』(2025年/日本)
監督:塚原あゆ子
脚本:坂元裕二
主演:松たか子/松村北斗
出演:吉岡里帆、森七菜、リリー・フランキー
あらすじ
結婚して15年になる硯(すずり)カンナ(松たか子)は、夫の駈(かける)(松村北斗)を事故で失ってしまう。
それはカンナと駈の離婚届を、駈が仕事帰りに提出する予定にしていた日だった。
離婚届が出されなかったため、旧姓の高畑(たかばたけ)に戻ることなく、駈のいない日々を過ごしていくカンナ。
荒れていく部屋と生活。
3年越しでようやく届いた人気通販の冷凍餃子を、カンナは焦げ付かせて台無しにしてしまう。
餃子を焼く前に戻りたい、やり直したいと強く思いながら車を運転していたカンナは、トンネルの天井崩落に巻き込まれる。
そこから抜け出すために必死にアクセルを踏んだカンナがトンネルを抜けると、そこはカンナと駈が初めて出会った場所だった。
そこでカンナは、若き日の駈と出会う。
駈との会話や周囲の状況から、“今日”がカンナと駈が初めて会った日の朝、まだ自分達が出会う前であることに気づくカンナ。
駈と会話を交わし、1日を一緒に過ごしたカンナは、若き日の自分の姿を見かけたことで、自分の存在が揺らぐのを感じ、同時に自分が2人存在することはできないと悟る。
車を運転し元の道に戻ると、カンナは本来の時間軸に戻っていた。
なぜタイムリープのようなことが起きたのかわからず戸惑っていたカンナだったが、昔の写真に写っている駈の行動が変化していることに気づく。
自分が過去の駈と会話をしたことにより、現在が変わった、と認識したカンナは、駈が事故で死ぬという現在を変えるために、もう一度タイムリープをしようとするが……
感想
松たか子と松村北斗の演技がいい。
夫を事故で失ったカンナと、その未来をまだ知らない、若い頃の駈。
ホームから線路に落下したベビーカーに乗っていた赤ちゃんを助けるために、駈が線路に飛び降り、電車に轢かれたことで亡くなったと知っているカンナだが、過去の駈と出会っても感傷的にならない。
出会った頃の駈は大学院生か何かで、古生物学を学んでおり、普段は言葉少なにしているが、自分の好きな古生物については饒舌に話す、いわゆるオタクタイプの若者だった。
この2人が15歳の年齢差で出会い、会話をし、一緒に行動するのだが、カンナの目的は未来(現在)を変えることなので、そのことに集中しており、お涙頂戴的な展開にまったくならない。
ここを変えれば未来も変わるのではないかと検討したことを試し、ダメだったら別のことを変更し、とカンナはトライアンドエラーを繰り返す。
そのタイムリープの繰り返しで、同じようで違う、似たようなやりとりや場面が繰り返されるのが、面白かった。
タイムリープの繰り返しはコメディそのもので、“おかしな挙動をするけれども明るくて話しやすい年上の女性”であるカンナに、若い駈は惹かれていく。
何度繰り返しても、駈はカンナを好きになる。
視聴者から見ると、カンナは完全に“おもしれー女”なのだが、古生物オタクの駈には、カンナのそういう部分が魅力的に感じられたのかもしれない。
このタイムリープを繰り返すトライアンドエラーはとても面白く、次はどんな風にアプローチするのか、未来はどう変わるのか、とワクワクもできるのだが、駈が死ぬという事実は変わらない。
カンナの働きかけによって変わった駈の行動によって、より悲惨な事故が起きてしまったりもする。
何をどうやっても駈を救えないと悟ったカンナは、自分と駈が出会って結婚することがないようにしようと考える。
そしてそれを、最後になるであろうタイムリープで、実行しようとするのだが……
タイムリープもので過去を変え、それで未来が変わってしまう場合の考え方は2通りある。
(1)過去を変えたことによって未来が上書きされる。世界と時間の流れはひとつしかない。
(2)過去を変えた時点で世界が分岐する。過去を変えた本人は分岐した“変わったほうの未来”に存在しているため、未来が上書きされたように見えているが、実際は元の時間軸では何も変わっていない。望む未来を手に入れた時点でタイムリープは終了されるが、その間に繰り返されたタイムリープの分だけ、世界は分岐しており、無数の世界が生み出されてしまっている。上書きではないので、起こった現象は決定されており、変えることはできない。
この『1ST KISS』ではどうだったかというと、(2)の考え方の世界線だったと思う。
それがわかるのは、“タイムリープをしたカンナ”の視点の物語と、“タイムリープしてきたカンナに影響を受けた駈”の視点の物語があるからだ。
(1)の世界線であれば、カンナ視点しか存在しない。
しかし“タイムリープしてきたカンナに影響を受けた駈”の視点が示されたため、世界が少なくとも2つあることがわかる。
“タイムリープをしたカンナ”の物語では、カンナがどれだけタイムリープを繰り返して過去を変えても、駈が死ぬという事実は変わらなかった。
未来(現在)へ戻れば、やはり駈は死んでいる。
そしてどれだけ過去を変えても、カンナの記憶は書き換えられていない。
カンナの記憶の中の駈は、離婚届けを提出しようとしていた駈のままなのだ。
それはカンナだけではなく、命を落とす瞬間に、人間の一生なんて地球(のような惑星、星)から見たら「じゅっ」と消える一瞬のようなもの、こんなものか、と思って諦念のうちに死んだ駈も、その駈のままであり、何も変わってはいない。
一方、“タイムリープしてきたカンナに影響を受けた駈”の物語では、駈は自分とカンナの結婚生活がすれ違っていった要因を、カンナ本人から聞いている。
そのままでは離婚してしまうと知った駈は、そうならないように、2人の関係を良好に保つために努力をした。
そして事故当日の朝を迎えたとき、2人の関係は良好だった。
命を落とす事実は変わらず、駈はホームから落下したベビーカーから赤ちゃんを救い出し、母親へ渡し、そして自分は死んでしまうことを知っていた。
それでも、駈は満足だった。
愛する妻と愛し合ったまま、最後に人を助けて、満ち足りたままで人生を終えた。
この世界線のカンナは、最愛の夫を事故で亡くすという事実は同じだが、気持ちは“タイムリープをしたカンナ”とはだいぶ違うだろう。
また、彼女の心が救われるように、駈はちゃんと仕掛けを残してくれていた。
だからカンナは1人残されても大丈夫だろうと思える。
では、“タイムリープをしたカンナ”は?
彼女は救われたのだろうか?
どれだけタイムリープを繰り返しても、駈を救うことはできなかった。
自分の中の駈の記憶も、冷え切った夫婦のまま。
だけど、タイムリープを繰り返したことで、カンナは駈の気持ちを知った。
彼が自分をとても好きなこと、何度出会っても好きになってくれること、死ぬ未来が待っているから自分と結婚しないほうがいいと伝えても、結婚したいと言ってくれたこと。
離婚したくない、と言ってくれたこと。
冷え切っていた夫婦としての記憶は消えないが、そこに駈がカンナに対して持っている愛情が、タイムリープによって積み重ねられた出会いの分、プラスされていった。
だからカンナは、駈のことをもう一度信じられるようになった。
彼からの愛情を信じられるようになった。
その想いを受け取って、カンナは駈を失ってしまった世界で、愛に満ちた気持ちを抱えて、これからも生きていく。
起こってしまった事実は変わらないが、気持ちが変わることで、心が救われる。
というタイムリープを見たのは、初めてかもしれない。
タイムリープで、カンナと駈は何度もかき氷屋に並ぶ。
その時に、毎回後ろに若い女性の2人組が登場する。
行列に並びながら、カンナは自分と結婚させないために、駈に教授の娘との結婚を勧める。
それを渋る駈。
強硬に結婚することのメリットを説くカンナに、後ろの2人組が声をかける。
「あのさあ、おばさん。
この人が教授の娘と結婚するわけないでしょ。
この人は、おばさんのことが好きなんだよ」
若い女性の2人組との会話は毎回変わるが、この時の会話が一番面白かった。
ほんの短時間、同じ行列に並び、会話を聞いているだけで、駈がカンナを好きなことは、誰が見てもわかるのだ。
そんな風に惹かれあって結婚した2人が、ボタンの掛け違いで少しずつすれ違っていき、冷え切った夫婦になってしまったのは、悲しい。
結婚生活はお互いの努力の上に成り立つものなんだな、と感じる。
“タイムリープをしたカンナ”の世界では、夫婦の仲を修復できなかった。
だが、カンナがタイムリープをしたから、“タイムリープをしてきたカンナに影響を受けた駈”は、カンナとの結婚生活を、良好なものに変えることができた。
タイムリープが、カンナの心を救い、駈の心も救った。
2つの世界で、それぞれの心が救われた。
どちらの世界でも、2人ともが救われるのであれば、最高の結末だったとは思う。
それでも、タイムリープがなければ、誰の心も救われなかっただろうと考えると、片方だけでも救われて良かったな、と思った。
タイムリープが起こる理由や仕組みは、かなりご都合主義というか、説明不足感は否めない。
起きてしまった現象すべてに理由を求めるのも野暮だし、一応期限付きではあったので、カンナと駈の面白カップルに免じて、終わりよければすべてよし、でいいと思う。
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